大学を中退した私のその後と家族の話

大学を中退した私のその後と家族の話

 

私は大学受験期、つまり大学入学の直前に体を壊しました。
高校生の時点で父親がうつ病になったのが大きな原因ではあります。
あのブラック企業め……って感じです。

大学を中退する形を選んだのにも理由はあります。
今回はそういったお話をしたいと思います。

ほぼ自己紹介のような内容となります。
大学を中退するかどうかで悩んでいる人へのアドバイスになればと思い、書いていこうと思いました。

 

スポンサーリンク

 

人生は18歳やそこらで決まる、なんて大嘘

家族が秀才であること

私には1歳年上の兄がいます。
昔からそこそこ勉強ができて、超田舎だったので変わり者扱いされるような兄でした。

そんな兄は東大に現役合格しました。
とくに驚きはありません。
ただ彼の勉強したい分野のある大学を、彼のレベルにあわせて探していった結果そうなっただけです。

ここで

「東大!?人生安泰だね!」

と思ってしまう人は要注意です。
最近見たテレビで「今でしょ!」でお馴染みの林先生も言っていました。
18歳やそこらで人生は決定しないからです。

 

大学受験期の私

私と兄は同じ高校に通っていました。
そして、超がつくほどの田舎。

お察しの通り、私には

「あなたもいい大学に行くんでしょ」

という無言の圧力がかけられていました。
そもそも「いい大学」ってなんやねん。

私が勉強したかったのは芸術関係でした。
といっても芸大・美大レベルの話ではなく、もっと全般的にざっくりと勉強したかったのです。
簡単に言えば、「いい大学」に私が勉強したい分野はありませんでした。

 

そして、大学受験期、父親がうつ病になりました。
正直、子どもの私から見てもあの企業はだめだと思っていました。
あまりにもブラックすぎる、と。
かなり仕事のできる、そして責任感の強い父でしたから、いつかはこうなるのではないかと思っていました。

それが、私が高校3年生の9月の話です。

 

今思えば高校3年生ってなんだかんだ楽しかったんですよね。
地方の自称進学校と呼ばれるようなところなので、まあ勉強は大変でしたが……。
それでも高校生最後のイベントである体育祭は燃え尽き症候群になるくらい楽しかったです。

でも、それも受験前の最後の楽しみに過ぎなかったわけです。
その体育祭前後に父が病気で休職することが決まりました。
共働きだった母はさぞかし苦労したと思います。

 

そんな状態で、私の進路相談なんてできるわけがありませんでした。
本当のことを言うと、私は専門学校でお芝居の勉強がしたかったのです。

そのあたりをろくに相談できないまま、私はなんとか探し当てた第一志望の大学のために勉強を始めました。

 

志望校に受からなかった私

もう散々言っているとおり、私は志望校に受かりませんでした。
偏差値だけで言えば「なんであの子は落ちたの?」といわれてもおかしくはない学校でした。
受験システムが独特だったから仕方ないと、自分でも驚くほどあっさり割り切れたのを覚えています。

そして、行きたくもない滑り止めの大学受験。
こちらは後期試験となりました。
試験は2011年3月12日。

東日本大震災の翌日でした。

 

東日本大震災の話

私は母といっしょに大学近くの某ホテルに泊まる予定でした。
東北です。
ここで震災が起こりました。

私たちはちょうど高速バスに乗っていたため、あの揺れを知りません。
知ったのは発生の1時間後。
友達からのメールで気づき、ワンセグを起動すると、ちょうど空港に波が押し寄せているところでした。

今思い出してもなんともいえない気持ちになってしまうので、このあたりははしょりますね。

ごめんなさい。

ただ、その後期試験を受ける大学が、試験の中止を翌日の朝になってやっと決定した、という事実だけは書いておきます。
このころからあの大学に不信感はあったのかもしれません。

 

震災後から大学に通えるようになるまで

震災後は体を壊しました。
1年ほど実家で療養、つまり入学から1年経ってようやく通えるようになりました。
ちなみに2018年現在、未だに完治していません。
大学を中退するほどにはひどいものでした。

そして、私は思ったのです。

「18歳で人生が決まると思っている人なんて、ろくでもない」

と。
私の人生は18歳やそこらで決められてたまるか、と。

 

次から中退した話になります。
前置きが長くてすみません。

 

大学を中退した話

ほかの生徒との温度差

復学後、最初の授業で私は感じてしまったのです。
1歳年が違うだけで、こんなにも引かれてしまうのか、と。

言葉では表しようのない、温度差のようなものがあったのです。
私は1年休学していたので、同じクラスになるのはみんな年下。
浪人生でもないのに、年下。

そして、私みたいな「滑り止め」勢って少なかったんだと思うのです。
全体的に、なんというか、中学時代に私よりもテストの点数が悪かった集団のような、そんなにおいがしたのです。

最近よく「IQが20離れると会話が成り立たなくなる」とかなんとかいう話を耳にします。
まさにそれでした。
なんか、なにもかもが、合わなかったのです。

 

退学を決意した理由

私が大学を退学しようと決意したのは、病気が理由というのもあります。

  • 自分とは空気が合わなすぎた
  • 病気があまりよくなっていなくて、大学に足が向かなかった

といった理由が大きいです。

かなりの苦痛でした。

「社会人になったらそういう理不尽もあるんだよ」と両親には言われましたが、それでも、私には耐えられないほどの苦痛だったのです。

そして、私が大学2年生のころだったと思います。

母親が難病になりました。

厳密に言うと「難病かもしれないけれどはっきりしない病気」でした。
当時父はもう復職していたはずですが、それでも、

こんな単位も取れないほど通えていないのなら、親の負担になるなら、辞めたほうがマシ

と思うようになったのです。

 

まとめ

中退したあとの話

大学を中退したあと、私は東京に引っ越し、一人暮らしをはじめました。
そこでアルバイトをしながら、病気の様子を見ながら暮らしているということになります。
それが現在まで続いています。

もしかしたら、嫌でも大学を卒業して、どうにか企業に就職するべきだったのでは?と思う日もあります。
でも、正社員として働いてはいけないなと思うほど私の体と病気は気まぐれなのです。

だから、大学を中退したという選択は間違っていなかったと思います。

病気の両親に無理させてまで、何年も大学に通って就職、というのは、私には合わないと思っています。
今も、昔も。

だから、

中退することで絶たれる未来

中退することで回避できる未来

の区別をしっかりもって、自分が大学を中退すべきか否か考えてほしいと思います。

 

こんな私が偉そうにすみません。

それでも、今はまあ、ある程度の生活はできています。
仕事を増やせば、もっと余裕のある生活ができるかな、と思っているところです。
ブログを始める余裕はあります。
それでも、やっぱり、正社員で安定した生活!とかはかなり難しいと思います。
そのあたりが「回避できる未来」と「絶たれる未来」の違いになってくると思います。

 

そんな感じで。

父も母も今はかなり元気になっています。
だいぶ個人的な話をしましたが、ネットの海に放流されるということで、ここはひとつ。

 

 

おわり

 

3.11の話はこちらでも書いています。

3.11と私の話とローリングストックについて

 

スポンサーリンク